又(また)法華経をば経のごとく持(たも)つ人々も、法華経の行者を或(あるい)は貪瞋癡(とんじんち)により、或は世間の事により、或はしなじな(品々)のふ(振)るま(舞)ひによって憎む人あり。此(これ)は法華経を信(しん)ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほ(蒙)るなり。例せば父母なんどには謀反(むほん)等より外(ほか)は、子息(しそく)等の身として此に背(そむ)けば不孝なり。父が我(わ)がいと(愛)をしきめ(女)をとり、母が我がいと(愛)をしきをとこ(夫)を奪(うば)ふとも、子の身として一分(いちぶん)も違(たが)はゞ、現世には天に捨てられ、後生(ごしょう)には必ず阿鼻地獄に堕(お)つる業(ごう)なり。何(いか)に況(いわ)んや父母にまされる賢王に背(そむ)かんをや。何に況んや父母・国王に百千万億倍まされる世間の師をや。何に況んや出世間(しゅっせけん)の師をや。何に況んや法華経の御師をや。
(平成新編1232・御書全集1247・正宗聖典----・昭和新定[2]1834・昭和定本[2]1511~1512)
[弘安01(1278)年06月25日(佐後)]
[真跡・千葉本壽寺外五ヶ所(10%未満現存)]
[※sasameyuki※]