問(と)うて曰(いわ)く、自他面(じためん)の六根(ろっこん)は共に之(これ)を見る、彼此(ひし)の十界に於(おい)ては未(いま)だ之を見ず、如何(いかん)が之を信ぜん。答(こた)へて曰く、法華経法師品(ほっしほん)に云(い)はく「難信難解(なんしんなんげ)」と。宝塔品(ほうとうほん)に云はく「六難九易(ろくなんくい)」等云云。天台大師云はく「二門悉(ことごと)く昔と反すれば難信難解なり」と。章安大師(しょうあんだいし)云はく「仏此(これ)を将(もっ)て大事と為(な)す、何(なん)ぞ解(げ)し易(やす)きことを得(う)べけんや」等云云。伝教大師云はく「此(こ)の法華経は最も為(こ)れ難信難解なり、随自意(ずいじい)の故(ゆえ)に」等云云。夫(それ)在世の正機(しょうき)は過去の宿習(しゅくじゅう)厚き上、教主釈尊・多宝仏・十方分身(ふんじん)の諸仏、地涌千界(じゆせんがい)・文殊(もんじゅ)・弥勒(みろく)等之(これ)を扶(たす)けて諫暁(かんぎょう)せしむるに猶(なお)信ぜざる者之(これ)有り、五千席を去り人天移さる、況(いわ)んや正像(しょうぞう)をや、何(いか)に況んや末法の初めをや。汝(なんじ)之を信ぜば正法(しょうほう)に非(あら)じ。
(平成新編0647・御書全集0240~0241・正宗聖典0145~0146・昭和新定[2]0960・昭和定本[1]0705)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]