此(これ)はさてとゞ(留)め候(そうら)ひぬ。但(ただ)大尼御前の御本尊の御事、おほ(仰)せつかはされておも(思)ひわづら(患)ひて候。其(そ)の故(ゆえ)は此(こ)の御本尊は天竺(てんじく)より漢土(かんど)へ渡り候ひしあまた(数多)の三蔵、漢土より月氏(がっし)へ入(い)り候ひし人々の中にもしる(記)しを(置)かせ給はず。西域(さいいき)等の書(ふみ)ども開き見候へば、五天竺の諸国寺々の本尊皆(みな)しるし尽くして渡す。又漢土より日本に渡る聖人(しょうにん)、日域(にちいき)より漢土へ入りし賢者等のしるされて候寺々の御本尊皆かんが(勘)へ尽くし、日本国最初の寺元興寺(がんごうじ)・四天王寺(してんのうじ)等の無量の寺々の日記、日本紀と申すふみ(書)より始めて多くの日記にのこ(残)りなく註(ちゅう)して候へば、其の寺々の御本尊又かく(隠)れなし。其の中に此の御本尊はあ(敢)へてましまさず。
(平成新編0763・御書全集0904~0905・正宗聖典----・昭和新定[2]1130~1131・昭和定本[1]0866)
[文永12(1275)年02月16日(佐後)]
[真跡・愛知長福寺(10%未満現存) 身延曾存]
[※sasameyuki※]