次に寿量品と申すは本門の肝心(かんじん)なり。又此(こ)の品は一部の肝心、一代の聖教(しょうぎょう)の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得(しょうとく)し給(たま)ふ事は三世の諸仏と内証(ないしょう)等(ひと)しきが故(ゆえ)なり。但(ただ)し此の法門は釈尊一仏の己証(こしょう)のみに非(あら)ず、諸仏も亦(また)然(しか)なり。我等(われら)衆生の無始已来(むしいらい)六道生死(しょうじ)の浪(なみ)に沈没せしが、今(いま)教主釈尊の所説(しょせつ)の法華経に値(あ)ひ奉(たてまつ)る事は、乃往(むかし)過去に此の寿量品の久遠実成(くおんじつじょう)の一念三千を聴聞(ちょうもん)せし故なり。有(あ)り難(がた)き法門なり。
(平成新編1223・御書全集1016・正宗聖典----・昭和新定[2]1821・昭和定本[2]1497)
[弘安01(1278)年04月23日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]