又一代聖教(いちだいしょうぎょう)を弘(ひろ)むる人は多くおはせども、是程(これほど)の大事の法門をば伝教・天台もいま(未)だ仰(おお)せられず。其(そ)れも道理なり。末法の始(はじめ)の五百年に上行菩薩の出世あて弘め給(たま)ふべき法門なるが故なり。相構(あいかま)へて、いかにしても此(こ)の度(たび)此の経を能(よ)く信じて、命終(みょうじゅう)の時千仏(せんぶつ)の迎(むか)へに預かり、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に走りまいり自受法楽すべし。信心弱くして成仏のの(延)びん時、某(それがし)をうら(恨)みさせ給ふな。譬(たと)へば病者に良薬(ろうやく)を与ふるに、毒を好んでく(食)ひぬれば其の病癒(い)えがた(難)き時、我がとが(失)とは思はず還(かえ)って医師を恨むるが如(ごと)くなるべし。
(平成新編1460・御書全集1443・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2096・昭和定本[3]2124~2125)
["弘安03(1280)年12月""弘安03(1280)年02月"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]