仏教も又かくの如(ごと)く、華厳(けごん)・阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)・大日経・阿弥陀経等に依(よ)る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁(わきま)へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等なり、将又(はたまた)勝れたりなんど申せば、其(そ)の一類の人々は我が経をほめられ、うれ(嬉)しと思へども、還(かえ)ってとが(科)となりて師も弟子も檀那も悪道(あくどう)に堕(お)つること箭(や)を射(い)るが如し。但(ただ)し法華経の一切経に勝れりと申して候はくる(苦)しからず、還って大功徳となり候。経文の如くなるが故なり。
(平成新編1508・御書全集1568~1569・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2167・昭和定本[2]1811)
[弘安03(1280)年10月24日(佐後)]
[真跡・蒲郡長存寺外二ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]