問うて云(い)はく、火々といへども手にとらざればや(焼)けず、水々といへども、口にの(飲)まざれば水のほ(欲)しさもや(止)まず。只(ただ)南無妙法蓮華経と題目計(ばか)りを唱(とな)ふとも、義趣(ぎしゅ)をさとらずば悪趣(あくしゅ)をまぬかれん事、いかゞあるべかるらん。答へて云はく、師子の筋を琴(こと)の絃(いと)として、一度奏(そう)すれば余の絃(いと)悉(ことごと)くき(切)れ、梅子(うめのみ)のす(酢)き声(な)をき(聞)けば口につ(唾)た(溜)まりうるを(潤)う。世間の不思議是(か)くの如し。況(いわ)んや法華経の不思議をや。小乗の四諦(したい)の名(な)計(ばか)りをさや(囀)づる鸚鵡(おうむ)なを天に生(しょう)ず。三帰(き)計りを持(たも)つ人、大魚の難をまぬかる。何(いか)に況んや法華経の題目は八万聖教(はちまんしょうぎょう)の肝心、一切諸仏の眼目なり。汝等(なんだち)此(これ)をとな(唱)えて四悪趣をはな(離)るべからずと疑(うたが)ふか。正直捨方便の法華経には「信を以(もっ)て入(い)ることを得(う)」と云ひ、双林最後の涅槃経には「是(こ)の菩提の因は復(また)無量なりと雖(いえど)も、若し信心を説けば、則(すなわ)ち已(すで)に摂尽(しょうじん)す」等云云。
(平成新編0353・御書全集0940・正宗聖典----・昭和新定[1]0534・昭和定本[1]0391~0392)
[文永03(1266)年01月06日(佐前)]
[真跡・水戸久唱寺他十一ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日目筆 宮城一迫妙教寺]
[※sasameyuki※]