『法門申さるべき様の事(法門可被申樣之事・法門可申抄・法門可申事)』(佐前)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 教と申すは師親のをし(教)え、詔と申すは主上(しゅじょう)の詔勅(みことのり)なるべし。仏は閻浮(えんぶ)第一の賢王・聖師・賢父なり。されば四十余年の経々につきて法華経へうつ(移)らず、又うつれる人々も彼(か)の経々をす(捨)てゝうつ(移)らざるは、三徳を備(そな)へたる親父の仰(おお)せを用(もち)ひざる人、天地の中にす(住)むべき者にはあらず。この不孝の人の住処(すみか)を経の次下に定めて云はく「若し人信ぜず、乃至(ないし)其(そ)の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入(い)らん」等云云。設(たと)ひ法華経をそし(謗)らずとも、うつり付かざらむ人々、不孝の失(とが)疑(うたが)ひなかるべし。不孝の者は又悪道(あくどう)疑ひなし。故(ゆえ)に仏は「入阿鼻獄」と定め給ひぬ。何(いか)に況(いわ)んや爾前(にぜん)の経々に執心(しゅうしん)を固(かた)くなして法華経へ遷(うつ)らざるのみならず、善導が千中無一、法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)とか(書)けるは、あに(豈)阿鼻地獄を脱(のが)るべしや。其(そ)の所化並びに檀那(だんな)は又申すに及ばず。
(平成新編0428・御書全集1266・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0638~0639・昭和定本[1]0445~0446)
[文永07(1270)年12月"文永06(1269)年"(佐前)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]