問ふ、末法に入(い)って初心の行者必ず円の三学を具するや不(いな)や。答へて曰く、此(こ)の義大事たり。故に経文を勘(かんが)へ出(い)だして貴辺に送付す。所謂(いわゆる)五品の初・二・三品には、仏正しく戒(かい)定(じょう)の二法を制止して一向に慧(え)の一分に限る。慧又堪(た)へざれば信を以(もっ)て慧に代(か)ふ。信の一字を詮と為(な)す。不信は一闡提(いっせんだい)謗法の因、信は慧の因、名字即の位なり。天台云はく「若(も)し相似(そうじ)の益は隔生(きゃくしょう)すれども忘れず。名字観行の益は隔生すれば即ち忘る、或(あるい)は忘れざるも有り。忘るゝ者も若し知識に値(あ)へば宿善還(かえ)って生ず。若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。恐らくは中古の天台宗の慈覚(じかく)・智証(ちしょう)の両大師も天台・伝教の善知識に違背(いはい)して、心、無畏(むい)・不空(ふくう)等の悪友に遷(うつ)れり。末代の学者、慧心の往生要集の序に誑惑(おうわく)せられて法華の本心を失ひ、弥陀の権門に入(い)る。退大取小の者なり。過去を以て之(これ)を惟(おも)ふに、未来無量劫を経て三悪道に処せん。若し悪友に値へば則ち本心を失ふとは是(これ)なり。問うて曰く、其の証如何(いかん)。答へて曰く、止観第六に云はく「前教に其の位を高うする所以(ゆえん)は方便の説なればなり、円教の位下(ひく)きは真実の説なればなり」と。弘決に云はく「前教といふより下は正しく権実を判ず。教弥(いよいよ)実なれば位弥(いよいよ)下(ひく)く、教弥権なれば位弥高き故に」と。又記の九に云はく「位を判ずることをいはゞ観境弥(いよいよ)深く実位弥下(ひく)きを顕はす」云云。他宗は且(しばら)く之を置く、天台一門の学者等何ぞ実位弥下の釈を閣(さしお)いて慧心僧都の筆を用(もち)ふるや。畏・智・空と覚・証との事は追って之を習へ。大事なり大事なり、一閻浮提第一の大事なり。心有らん人は聞いて後に我を外(うと)め。
(平成新編1112~1113・御書全集0339~0340・正宗聖典0277~0278・昭和新定[2]1648~1649・昭和定本[2]1296)
[建治03(1277)年04月初旬"建治03(1277)年04月10日"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]