『減劫御書(智慧亡国御書)』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 減劫(げんこう)と申すは人の心の内に候。貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒が次第に強盛(ごうじょう)になりもてゆくほどに、次第に人のいのちもつゞ(縮)まり、せい(背丈)もちい(小)さくなりもてまかるなり。漢土・日本国は仏法已前(いぜん)には三皇・五帝・三聖等の外経をもて、民の心をとゝのへてよ(世)をば治めしほどに、次第に人の心はよ(善)きこと(事)ははかなく、わる(悪)き事はかしこくなりしかば、外経の智あさ(浅)きゆへ(故)に悪のふか(深)き失(とが)をいまし(戒)めがたし。外経をもって世をさ(治)まらざりしゆへに、やうやく仏経をわたして世間ををさ(治)めしかば世をだ(穏)やかなりき。此(これ)はひとへに仏教のかしこ(賢)きによて、人民の心をくは(委)しくあ(明)かせるなり。当時の外典と申すは、本(もと)の外経の心にはあらず。仏法のわたりし時は外経と仏経とあらそ(争)いしかども、やうやく外経ま(負)けて王と民と用(もち)ひざりしかば、外経のもの内経の所従(しょじゅう)となりて立ちあうことなくありしほどに、外経の人々内経の心をぬ(抜)きて智慧をま(増)し、外経に入れて候を、をろ(愚)かなる王は外典のかしこきかとをも(思)う。
(平成新編0924・御書全集1465・正宗聖典----・昭和新定[2]1398~1399・昭和定本[2]1128)
[建治01(1275)年(佐後)]
[真跡・富士大石寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]