後五百歳(ごごひゃくさい)には誰人を以て法華経の行者と之(これ)を知るべきや。予(よ)は未だ我が智慧を信ぜず。然(しか)りと雖(いえど)も自他の返逆(ほんぎゃく)・侵逼(しんぴつ)、之を以て我が智を信ず。敢(あ)へて他人の為にするに非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是(これ)法華経の行者なり。不軽(ふきょう)の跡(あと)を紹継(しょうけい)するの故に。軽毀(きょうき)する人は頭(こうべ)七分に破(わ)れ、信ずる者は福を安明(あんみょう)に積まん。
(平成新編0748・御書全集0974・正宗聖典----・昭和新定[2]1091・昭和定本[1]0843)
[文永11(1274)年11月"建治01(1275)年"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・信伝筆"日澄筆" 北山本門寺]
[※sasameyuki※]