御事にをい(於)ては御一味なるやうなれども御信心は色あらわれて候。さど(佐渡)の国と申し、此の国と申し、度々の御志ありてたゆ(弛)むけしき(気色)はみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終(つい)にはいかんがとをそれ思ふ事、薄氷(うすらい)をふ(踏)み太刀(たち)に向かふがごとし。くは(詳)しくは又々申すべく候。それのみならず、かまくら(鎌倉)にも御勘気の時、千が九百九十九人は堕(お)ちて候人々も、いまは世間やわ(和)らぎ候かのゆへ(故)に、く(悔)ゆる人々も候と申すに候へども、此はそれには似るべくもなく、いかにもふびん(不便)には思ひまいらせ候へども、骨に肉をばか(替)へぬ事にて候へば、法華経に相違せさせ給ひ候はん事を叶ふまじき由(よし)、いつまでも申し候べく候。恐々謹言。
(平成新編0765~0766・御書全集0907・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1134・昭和定本[1]0869)
[文永12(1275)年02月16日(佐後)]
[真跡・愛知長福寺(10%未満現存) 身延曾存]
[※sasameyuki※]