夫(それ)人身をう(受)くる事は五戒の力による。五戒を持(たも)てる者をば二十五の善神これをまぼ(守)る上、同生(どうしょう)同名(どうみょう)と申して二つの天、生まれしよりこのかた、左右のかた(肩)に守護するゆへ(故)に、失(とが)なくて鬼神あだむことなし。しかるに此の国の無量の諸人なげきをなすのみならず、ゆき(壱岐)・つしま(対馬)の両国の人皆(みな)事にあひぬ。大宰府(だざいふ)又申すばかりなし。此(こ)の国はいかなるとが(失)のあるやらん。し(知)らまほし(欲)き事なり。一人二人こそ失もあるらめ、そこばく(若干)の人々いかん。これひとへに法華経をさぐ(下)る弘法・慈覚・智証等の末の真言師、善導・法然が末の弟子等、達磨等の人々の末の者ども国中に充満せり。故に梵・釈・四天等、法華経の座の誓状のごとく、頭破作七分(ずはさしちぶん)の失にあてらるゝなり。
(平成新編1070~1071・御書全集0924・正宗聖典----・昭和新定[2]1596~1597・昭和定本[2]0984)
[建治02(1276)年"建治01(1275)年"(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]