日蓮が母(はは)存生してをはせしに、仰(おお)せ候ひし事をあまりにそむ(背)きまいらせて候ひしかば、今をくれまいらせて候があながちにくや(悔)しく覚(おぼ)へて候へば、一代聖教(いちだいしょうぎょう)を検(かんが)へて母の孝養を仕(つかまつ)らんと存じ候間(あいだ)、母の御訪(とぶら)ひ申させ給ふ人々をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれ(嬉)しく思ひまいらせ候間、あらあらかきつけて申し候なり。定めて過去聖霊(しょうりょう)も忽(たちま)ちに六道の垢穢(くえ)を離れて霊山浄土(りょうぜんじょうど)へ御参り候らん。此の法門を知識に値(あ)はせ給ひて度々きかせ給ふべし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ。くは(委)しくは又々申すべく候。恐々謹言。
(平成新編1506・御書全集1401・正宗聖典----・昭和新定[3]2164~2165・昭和定本[2]1808)
[弘安03(1280)年10月21日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]