『国府尼御前御書(千日尼御前御返事)』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 阿仏御房の尼ごぜん(御前)よりぜに(銭)三百文。同心なれば此(こ)の文(ふみ)を二人して人によ(読)ませてき(聞)こしめせ。
 単衣(ひとえぎぬ)一領、佐渡国(さどのくに)より甲斐国(かいのくに)波木井の郷の内の深山まで送り給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。法華経第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於(おい)て合掌して我が前に在(あ)って無数(むしゅ)の偈(げ)を以(もっ)て讃(ほ)めん。是(こ)の讃仏(さんぶつ)に由(よ)るが故に無量の功徳を得(え)ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過(す)ぎん」等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりとと(説)かれて候。まこと(実)しからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわ(和)らげて云はく「若(も)し毀謗(きぼう)せん者は頭(こうべ)七分に破(わ)れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわ(破)るべしと云云。
(平成新編0739・御書全集1324・正宗聖典----・昭和新定[2]1289~1290・昭和定本[2]1062)
[文永11(1274)年06月16日"建治01(1275)年06月16日"(佐後)]
[真跡・佐渡妙宣寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]