聖人(しょうにん)と申すは委細(いさい)に三世を知るを聖人と云ふ。儒家(じゅけ)の三皇(さんこう)・五帝(ごてい)並びに三聖は但(ただ)現在を知りて過(か)・未(み)を知らず。外道は過去八万・未来八万を知る。一分(いちぶん)の聖人なり。小乗の二乗は過去未来の因果を知る。外道に勝れたる聖人なり。小乗の菩薩は過去三僧祇(さんそうぎ)の菩薩、通教の菩薩は過去に動踰塵劫(どうゆじんこう)を経歴(きょうりゃく)せり。別教の菩薩は一々の位の中に多倶低劫(たぐていこう)の過去を知る。法華経の迹門は過去の三千塵点劫(じんでんごう)を演説す。一代超過(ちょうか)是(これ)なり。本門は五百塵点劫・過去遠々劫(おんのんごう)をも之(これ)を演説し、又未来無数劫(むしゅこう)の事をも宣伝す。之に依(よ)って之を案ずるに、委(くわ)しく過・未を知るは聖人の本(もと)なり。教主釈尊は既に近くは去って後三月の涅槃之を知る。遠くは後五百歳広宣流布疑ひ無き者か。若(も)し爾(しか)れば近きを以(もっ)て遠きを惟(おも)ひ、現を以て当を知る。如是相乃至本末究竟等是(これ)なり。
(平成新編0748・御書全集0974・正宗聖典----・昭和新定[2]1090~1091・昭和定本[1]0842~0843)
[文永11(1274)年11月"建治01(1275)年"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・信伝筆"日澄筆" 北山本門寺]
[※sasameyuki※]