問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。問うて云はく、何(いず)れの経文、何れの人師(にんし)の釈にか出(い)でたるや。答へて云はく、法華経の第四法師品に云はく「薬王、在々処々に若(も)しは説き若しは読み、若しは誦(じゅ)し若しは書き、若しは経巻所住の処(ところ)には皆(みな)応(まさ)に七宝の塔を起(た)てゝ極(きわ)めて高広厳飾(こうこうごんじき)ならしむべし。復(また)舎利(しゃり)を安(やす)んずることを須(もち)ひず。所以(ゆえん)は何(いかん)。此の中には已(すで)に如来の全身有(ましま)す」等云云。涅槃経の第四如来性品に云はく「復(また)次に迦葉(かしょう)、諸仏の師とする所は所謂(いわゆる)法也(なり)。是(こ)の故に如来恭敬(くぎょう)供養す。法常(つね)なるを以ての故に諸仏も亦(また)常なり」云云。天台大師の法華三昧に云はく「道場の中に於(おい)て好(よ)き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦(また)必ずしも形像(ぎょうぞう)舎利並びに余の経典を安んずべからず。唯(ただ)法華経一部を置け」等云云。
(平成新編1274・御書全集0365・正宗聖典0283・昭和新定[3]1907・昭和定本[2]1573)
[弘安01(1278)年09月(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]