去(い)ぬる建長五年 太歳癸丑(みずのとうし) 四月二十八日に、安房国長狭郡(あわのくにながさのこおり)の内、東条の郷、今は郡(こおり)なり。天照太神の御(み)くりや(厨)、右大将家の立て始めし日本第二のみくりや(御厨)、今は日本第一なり。此(こ)の郡の内(うち)清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午(うま)の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年 太歳己卯(つちのとう) なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。
(平成新編1396・御書全集1189・正宗聖典0296・昭和新定[3]2015~2016・昭和定本[2]1672)
[弘安02(1279)年10月01日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]