仏も又かくの如く、多宝仏(たほうぶつ)と申す仏は此(こ)の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給ふ。釈迦仏・十方の諸仏も亦復(またまた)かくの如し。かゝる不思議の徳まします経なれば此の経を持(たも)つ人をば、いかでか天照太神(てんしょうだいじん)・八幡大菩薩・富士千眼(せんげん)大菩薩す(捨)てさせ給ふべきとたのもしき事なり。又此の経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども、必ず其の国に七難起こりて他国に破られて亡国となり候(そうろう)事、大海の中の大船の大風に値(あ)ふが如く、大旱魃(だいかんばつ)の草木を枯らすが如しとをぼしめせ。当時日本国のいかなるいの(祈)り候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざま(様々)の御いのり叶(かな)はずして、大蒙古国(だいもうここく)にせ(攻)められてすでにほろ(亡)びんとするが如し。今も御覧ぜよ。たゞかくては候まじきぞ。是皆(これみな)法華経をあだませ給ふ故と御信用あるべし。
(平成新編1511~1512・御書全集1572・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2172~2173・昭和定本[2]1816)
[弘安03(1280)年10月24日(佐後)]
[真跡・蒲郡長存寺外二ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]