五には法華経と申すは開経には無量義経一巻、法華経八巻、結経には普賢経一巻。上の四教四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らんが為なり。法華経の習ひとしては前の諸経を習はずしては永く心を得ること莫(な)きなり。爾前の諸経は一経一経を習ふに又余経を沙汰(さた)せざれども苦しからず。故に天台の御釈に云はく「若し余経を弘(ひろ)むるには教相を明らめざれども義に於(おい)て傷(やぶ)るゝこと無し。若し法華を弘むるには教相を明らめずんば文義欠(か)くること有り」文。法華経に云はく「種々の道を示すと雖(いえど)も其れ実には仏乗の為なり」文。種々の道と申すは爾前の一切の諸経なり。仏乗の為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。
(平成新編0092・御書全集0397~0398・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0200・昭和定本[1]0066)
[正嘉02(1258)年02月14日(佐前)]
[古写本・日目筆 保田妙本寺]
[※sasameyuki※]