又滅後なれども現に法華経ましませば、外道の法より小乗経にうつり、小乗経より権大乗にうつり、権大乗より法華経にうつる人々数をしらず。竜樹菩薩・無著菩薩・世親論師等是(これ)なり。像法一千年には正法のほどこそ無けれども、又過去現在に法華経の種を殖えたる人々も少々之有り、而(しかる)るを漸々に仏法澆薄(ぎょうはく)になる程に、宗々も偏執石(いし)の如くかたく、我慢山(やま)の如く高し。像法の末に成りぬれば、仏法によ(依)て諍論(じょうろん)興盛(こうじょう)して仏法の合戦ひまなし。世間の罪よりも、仏法の失(とが)に依って無間地獄に堕つる者数をしらず。
(平成新編0709・御書全集0525・正宗聖典----・昭和新定[2]1035~1036・昭和定本[1]0777)
[文永10(1273)年(佐後)]
[真跡・小湊誕生寺外二〇ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]