問うて云はく、法華は貴賎男女何(いず)れの菩提の道を得べきや。答へて云はく「乃至一偈に於(おい)ても皆成仏疑ひ無し」云云。又云はく「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。是(ここ)に知んぬ、無上菩提なり。「須臾聞之即得究竟阿耨菩提(しゅゆもんしそくとくくきょうあのくぼだい)」なり。此の菩提を得ん事、須臾も此の法門を聞く功徳なり。問うて云はく、須臾とは三十須臾を一日一夜と云ふ。「須臾聞之」の須臾は之を指すか如何。答ふ、件(くだん)の如し。天台止観の二に云はく「須臾も廃すること無かれ」云云。弘決に云はく「暫(しばら)くも廃することを許さず、故に須臾と云ふ」と。故に須臾は刹那(せつな)なり。
(平成新編0027・御書全集0151・正宗聖典----・昭和新定[1]0101・昭和定本[1]0018)
[建長07(1255)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]