御文(ふみ)はいそぎ御返事申すべく候ひつれども、たしかなるびんぎ(便宜)候はで、いまゝで申し候はず。べんあざり(弁阿闍梨)がびんぎ、あまりそうそう(早々)にてか(書)きあへず候ひき。さては各々としのころいかんがとをぼ(思)しつるもうこ(蒙古)の事、すでにちかづきて候か。我が国のほろ(亡)びん事はあさましけれども、これだにもそら(虚)事になるならば、日本国の人々いよいよ法華経を謗(ぼう)じて万人無間地獄に堕(お)つべし。かれだにもつよ(強)るならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん。譬(たと)へば灸治(やいと)をしてやまいをいやし、針治(はりたて)にて人をなをすがごとし。当時はなげ(嘆)くとも後は悦びなり。日蓮は法華経の御使ひ、日本国の人々は大族王(だいぞくおう)の一閻浮提の仏法を失ひしがごとし。蒙古国は雪山(せっせん)の下王(げおう)のごとし。天の御使ひとして法華経の行者をあだ(怨)む人々を罰せらるゝか。又、現身に改悔(かいげ)ををこしてあるならば、阿闍世王(あじゃせおう)の仏に帰(き)して白癩(びゃくらい)をや(治)め、四十年の寿(いのち)をのべ、無根の信と申す位にのぼりて現身に無生忍をえ(得)たりしがごとし。恐々謹言。
(平成新編1379・御書全集1463~1464・正宗聖典----・昭和新定[2]1332・昭和定本[1]0829~0830)
[弘安02(1279)年08月06日"建治01(1275)年08月06日""文永11(1274)年08月06日"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]