『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて曰く、上(かみ)の大難未(いま)だ其の会通(えつう)を聞かず如何。答へて曰く、無量義経に云はく「未だ六波羅蜜(ろくはらみつ)を修行することを得ずと雖(いえど)も六波羅蜜自然(じねん)に在前(ざいぜん)す」等云云。法華経に云はく「具足の道を聞かんと欲(ほっ)す」等云云。涅槃経に云はく「薩(さ)とは具足に名づく」等云云。竜樹菩薩の云はく「薩とは六なり」等云云。無依無得(むえむとく)大乗四論玄義記に云はく「沙(さ)とは訳(やく)して六と云ふ、胡(こ)の法には六を以て具足の義と為(な)すなり」と。吉蔵(きちぞう)の疏(しょ)に云はく「沙とは翻(ほん)じて具足と為す」と。天台大師の云はく「薩とは梵語(ぼんご)なり此には妙と翻(ほん)ず」等云云。私に会通(えつう)を加へば本文を黷(けが)すが如し、爾(しか)りと雖も文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解(りょうげ)に云はく「無上宝聚(むじょうほうじゅ)、不求自得(ふぐじとく)」云云。我等が己心(こしん)の声聞界なり。「我が如く等しくして異(こと)なること無し、我が昔の所願(しょがん)の如き今は已(すで)に満足しぬ。一切衆生を化して皆仏道に入(い)らしむ」と。妙覚の釈尊は我等が血肉(けつにく)なり、因果の功徳は骨髄(こつずい)に非ずや。宝塔品に云はく「其れ能(よ)く此の経法を護ること有らん者は、則(すなわ)ち為(こ)れ我及び多宝を供養するなり。乃至亦復(またまた)諸(もろもろ)の来たりたまへる化仏の諸の世界を荘厳(しょうごん)し光飾(こうじき)したまふ者を供養するなり」等云云。釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり、其の跡を継紹して其の功徳を受得す。「須臾(しゅゆ)も之を聞かば、即(すなわ)ち阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を究竟(くきょう)するを得(う)」とは是(これ)なり。寿量品に云はく「然(しか)るに我(われ)実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫(なゆたこう)なり」等云云。我等が己心の釈尊は五百塵点(じんでん)乃至所顕(しょけん)の三身にして無始(むし)の古仏(こぶつ)なり。経に云はく「我本(もと)菩薩の道を行じて成(じょう)ぜし所の寿命、今猶(なお)未だ尽きず。復(また)上(かみ)の数(すう)に倍(ばい)せり」等云云。我等が己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。例せば太公(たいこう)・周公旦(しゅうこうたん)等は周武(しゅうぶ)の臣下、成王(せいおう)幼稚の眷属。武内(たけのうち)の大臣(おおおみ)は神功皇后(じんぐうこうごう)の棟梁(とうりょう)、仁徳(にんとく)王子の臣下なるが如し。上行・無辺行・浄行・安立行(あんりゅうぎょう)等は我等が己心の菩薩なり。妙楽大師云はく「当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」等云云。
(平成新編0652~0653・御書全集0246~0247・正宗聖典0153~0154・昭和新定[2]0966~0967・昭和定本[1]0711~0712)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]