仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん(斛飯)王の御子、いえ(家)にたから(宝)をみ(満)てゝおはしき。のちに仏の御でし(弟子)となりては、天眼(てんげん)第一のあなりちとて、三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来(ふみょうにょらい)とならせ給ふ。そのさき(前)のよ(世)をたづぬれば、ひえ(稗)のはん(飯)を辟支仏(びゃくしぶつ)と申す仏の弟子にくやう(供養)せしゆへなり。いまの比丘尼(びくに)は、あわ(粟)のわさごめ(早米)山中にをく(送)りて法華経にくやうしまいらせ給ふ。いかでか仏にならせ給はざるべき。恐々謹言。
(平成新編1470・御書全集1485・正宗聖典----・昭和新定[3]2108・昭和定本[2]1753)
[弘安03(1280)年06月27日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]