まこと(実)やらむ、いゑの内にわづら(煩)ひの候なるは、よも鬼神のそゐ(所為)には候はじ。十らせち(羅刹)女の、信心のぶんざい(分際)を御心みぞ候らむ。まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまして、かうべ(頭)われんとをも(思)ふ鬼神の候べきか。又、釈迦仏・法華経の御そら(虚)事の候べきかと、ふかくをぼ(思)しめ(食)し候へ。恐々謹言。
(平成新編1207・御書全集1544・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1786・昭和定本[2]1451)
[建治04(1278)年02月25日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺、日道筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]