鵞目(がもく)一貫送り給(た)びて法華経の御宝前(ごほうぜん)に申し上げ候ひ了(おわ)んぬ。
なによりも故右大将家の御廟(ごびょう)と故権大夫殿の御墓とのや(焼)けて候由(よし)承(うけたまわ)りてなげき候へば、又八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)並びに若宮のや(焼)けさせ給ふ事いかんが人のなげき候らむ。世間の人々は八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身(けしん)と申すぞ。それも中古の人々の御言なればさもや。但(ただ)し大隅(おおすみ)の正八幡(しょうはちまん)の石の銘には、一方には八幡と申す二字、一方には昔霊鷲山(りょうじゅせん)に在(あ)って妙法華経を説き、今正宮の中に在って大菩薩と示現す等云云。月氏にては釈尊と顕はれて法華経を説き給ひ、日本国にしては八幡大菩薩と示現して正直の二字を願に立て給ふ。教主釈尊は住劫第九の減、人寿百歳の時、四月八日甲寅(きのえとら)の日、中天竺(ちゅうてんじく)に生まれ給ひ、八十年を経て、二月十五日壬申(みずのえさる)の日御入滅なり給ふ。八幡大菩薩は日本国第十六代応神天皇(おうじんてんのう)、四月八日甲寅の日生まれさせ給ひて、御年八十の二月の十五日壬申に隠れさせ給ふ。釈迦仏の化身と申す事はたれ(誰)の人かあらそいをなすべき。しかるに今日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生、善導(ぜんどう)・慧心(えしん)・永観(ようかん)・法然(ほうねん)等の大天魔にたぼらかされて、釈尊をなげすてゝ阿弥陀仏を本尊とす。あまりの物のくるわしさに、十五日を奪ひ取りて阿弥陀仏の日となす。八日をまぎらかして薬師仏の日と云云。あまりにをや(おや)をにくまんとて八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と云云。大菩薩をもてなすやうなれども八幡の御かたきなり。知らずわさ(左)でもあるべきに、日蓮此(こ)の二十八年が間、今此三界(こんしさんがい)の文を引きて此の迷ひをしめせば、信ぜずばさてこそ有るべきに、い(射)つ、き(切)つ、ころ(殺)しつ、なが(流)しつ、を(逐)うゆへに、八幡大菩薩宅をや(焼)いてこそ天へはのぼり給ひぬらめ。日蓮がかんが(勘)へて候ひし立正安国論此(これ)なり。
あわれ他国よりせめ来たりてたか(鷹)のきじ(雉)をとるやうに、ねこ(猫)のねずみ(鼡)をか(噛)むやうにせられん時、あま(尼)や女房どものあわて候はんずらむ。日蓮が一るい(類)を二十八年が間せめ候ひしむく(報)いに、或はい(射)ころし、切りころし、或はいけどり、或は他方へわたされ、宗盛がなわつ(繩付)きてさらされしやうに、すせんまん(数千万)の人々のなわつきて、せめられんふびんさよ。しかれども日本国の一切衆生は皆五逆罪(ごぎゃくざい)の者なれば、かくせめられんをば天も悦び、仏もゆるし給はじ。あわれあわれはぢ(恥)みぬさきに、阿闍世王(あじゃせおう)の提婆(だいば)をいまし(戒)めしやうに、真言師・念仏者・禅宗の者どもをいましめて、すこしつみ(罪)をゆるさせ給へかし。あらをかし、あらをかし、あらふびん、あらふびん。わわく(誑惑)のやつばらの智者げなれば、まことゝて、もてなして事にあはんふびんさよ。恐々謹言。
(平成新編1526~1527・御書全集1286~1287・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2191~2193・昭和定本[2]1826~1828)
[弘安03(1280)年12月18日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]