『上野殿御返事(上野殿後家尼御前御書・上野殿御書・弔書)』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生まれて死するなら(習)いとは、智者も愚者も上下一同に知りて候へば、始めてなげ(嘆)くべしをどろ(驚)くべしとわをぼ(覚)へぬよし、我も存じ人にもをし(教)へ候へども、時にあ(当)たりてゆめ(夢)かまぼろ(幻)しか、いまだわきま(弁)へがた(難)く候。まして母のいかんがなげかれ候らむ。父母にも兄弟にもをくれはてゝ、いとを(愛)しきをとこ(夫)にす(過)ぎわか(別)れたりしかども、子どもあまた(数多)をはしませば、心なぐさ(慰)みてこそをはし候らむ。いとを(愛)しきてこゞ(手児子)、しかもをのこゞ(男子)、みめかたち(容貌)も人にすぐれ、心もかいがいしくみ(見)へしかば、よその人々もすゞしくこそみ候ひしに、あやなくつぼ(蕾)める花の風にしぼみ、満月のにわ(俄)かに失(う)せたるがごとくこそをぼ(思)すらめ。まことゝもをぼへ候はねば、か(書)きつ(付)くるそらもをぼへ候はず。又々申すべし。恐々謹言。

  追伸。此(こ)の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそかな(悲)しくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。心は父君と一所に霊山浄土に参りて、手をとり頭を合はせてこそ悦ばれ候らめ。あはれなり、あはれなり。
(平成新編1496・御書全集1567~1568・正宗聖典----・昭和新定[3]2150~2151・昭和定本[2]1793~1794)
[弘安03(1280)年09月06日(佐後)]
[真跡・富士大石寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]