『上野尼御前御返事』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 聖人(すみざけ)ひとつゝ(筒)、ひさげ(堤子)十か、十字(むしもち)百、飴(あめ)ひとをけ(桶)二升か、柑子(こうじ)ひとこ(一籠)、串柿十くしならびにくり(栗)給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみ(満)たせ給ふべきよしうけ給はり了んぬ。
 抑(そもそも)故五らう(郎)どのゝ御事こそをも(想)いいでられて候へ。ちりし花もさかんとす、か(枯)れしくさ(草)もね(萌)ぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへ(帰)らせ給はざるべき。あわれ無常の花とくさ(草)とのやうならば、人丸(ひとまる)にはあらずとも花のもともはな(離)れじ。いば(嘶)うるこま(駒)にあらずとも、草のもとをばよもさ(去)らじ。
 経文には子をばかたき(敵)ととかれて候。それもゆわ(謂)れ候か。梟(ふくろう)と申すとりは母をく(喰)らう。破鏡(はけい)と申すけだものは父をがい(害)す。あんろく(安禄)山と申せし人は師史明(ししめい)と申す子にころされぬ。義朝(よしとも)と申せしつはものは為義(ためよし)と申すちゝ(父)をころす。子はかたきと申す経文ゆわれて候。又子は財(たから)と申す経文あり。妙荘厳王(みょうしょうごんのう)は一期(いちご)の後無間(むけん)大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬかれさせ給ふのみならず、沙羅樹王仏(しゃらじゅおうぶつ)と申す仏とならせ給ふ。生提女(しょうだいにょ)と申せし女人は、慳貪(けんどん)のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出(い)で候ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。
 故五郎殿はとし十六歳、心ね(根)、みめかたち(容貌)人にすぐれて候ひし上、男ののう(能)そなわりて万人にほめられ候ひしのみならず、をや(親)の心に随(したが)ふこと水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへ(家)にてははしら(柱)とたのみ、道にてはつへ(杖)とをも(思)いき。はこのたから(宝)もこの子のため、つかう所従もこれがため、我し(死)なばに(荷)なわれてのぼ(野辺)へゆきなん、のちのあとをも(思)いを(置)く事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなくさき(先)にた(立)ちぬれば、いかん(如何)にやいかん(如何)にやゆめ(夢)かまぼろ(幻)しか、さ(醒)めなんさ(醒)めなんとをも(思)へども、さめずしてとし(年)も又かへ(返)りぬ。いつとま(待)つべしともをぼ(覚)へず。ゆきあうべきところだにも申しを(置)きたらば、はねはなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこし(唐土)へもわたりなん。大地のそこにありときかば、いか(争)でか地をもほ(掘)らざるべきとをぼ(思)しめ(食)すらむ。
 やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとしてりゃうぜん(霊山)浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃむいちふじょうぶつ)と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しを(潮)のみ(満)ちひ(干)ぬ世(よ)はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。恐々謹言。
(平成新編1552~1553・御書全集1575~1576・正宗聖典----・昭和新定[3]2225~2227・昭和定本[2]1857~1859)
[弘安04(1281)年01月13日(佐後)]
[真跡・富士大石寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]