蹲鴟(いも)一俵給(た)び了(おわ)んぬ。又かうぬし(神主)のもと(許)に候御乳塩(ちしお)一疋(ぴき)、並びに口付(くちつき)一人候。
さては故五郎殿の事は、そのなげきふ(古)りずとおもへども、御げざん(見参)ははるかなるやうにこそおぼえ候へ。なをもなをも法華経をあだむ事はた(絶)えつとも見へ候はねば、これよりのちもいかなる事か候はんずらめども、いまゝでこらへさせ給へる事まことしからず候。仏説いての給はく、火に入りてやける者はありとも、大水に入りてぬれぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入れば須臾(しゅゆ)の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ。
徽宗皇帝(きそうこうてい)は漢土の主(あるじ)、蒙古国にからめとられさせ給ひぬ。隠岐(おき)の法王は日本国のあるじ、右京の権(ごん)の大夫殿にせめられさせ給ひて、島にては(果)てさせ給ひぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば、即身に仏にもならせ給ひなん。わづかの事には身をやぶり命をす(捨)つれども、法華経の御ゆへにあやしのとが(科)にあ(当)たらんとおも(思)ふ人は候はぬぞ。身にて心みさせ給ひ候ひぬらん。たうとしたうとし。恐々謹言。
(平成新編1554・御書全集1577・正宗聖典----・昭和新定[3]2228~2229・昭和定本[2]1861)
[弘安04(1281)年03月18日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]