かゝる日蓮にともな(伴)ひて、法華経の行者として腹を切らんとの給ふ事、かの弘演(こうえん)が腹をさ(割)いて主の懿公(いこう)がきも(肝)を入れたるよりも、百千万倍すぐれたる事なり。日蓮霊山にまいりて、まづ四条金吾こそ、法華経の御故に日蓮とをな(同)じく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ。
又かまくらどの(鎌倉殿)の仰せとて、内々佐渡の国へつか(遣)はすべき由(よし)承り候。三光天子の中に月天子は光物(ひかりもの)とあらはれ竜口(たつのくち)の頸(くび)をたす(助)け、明星(みょうじょう)天子は四・五日已前に下りて日蓮に見参(げんざん)し給ふ。いま日天子ばかりのこり給ふ。定めて守護あるべきかと、たのもしたのもし。法師品に云はく「則(すなわ)ち変化(へんげ)の人を遣はして、之が為に衛護(えいご)と作(な)さん」と。疑ひあるべからず。安楽行品に云はく「刀杖も加へず」と。普門品に云はく「刀尋(つ)いで段々に壊(お)れなん」と。此等の経文よも虚事(そらごと)にては候はじ。強盛(ごうじょう)の信力こそありがたく候へ。恐々謹言。
(平成新編0479・御書全集1113~1114・正宗聖典----・昭和新定[1]0718~0719・昭和定本[1]0505)
[文永08(1271)年09月21日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]