『持妙法華問答抄(持法華問答抄)』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 抑(そもそも)希(まれ)に人身をうけ、適(たまたま)仏法をきけり。然(しか)るに法に浅深(せんじん)あり、人に高下ありと云へり。何(いか)なる法を修行してか速(すみ)やかに仏になり候べき。願はくは其の道を聞かんと思ふ。答へて云はく、家々に尊勝あり、国々に高貴あり。皆其の君を貴(たっと)み、其の親を崇(あが)むといへども、豈(あに)国王にまさるべきや。爰(ここ)に知んぬ、大小権実は家々の諍(あらそ)ひなれども、一代聖教の中には法華独(ひと)り勝れたり。是(これ)頓証菩提(とんしょうぼだい)の指南(しなん)、直至道場(じきしどうじょう)の車輪なり。
 疑って云はく、人師は経論の心を得て釈を作る者なり。然(しか)らば則(すなわ)ち宗々の人師、面々各々に教門をしつら(設)ひ、釈を作り、義を立て証得(しょうとく)菩提を志す。何ぞ虚(むな)しかるべきや。然(しか)るに法華独り勝ると候はゞ、心せばくこそ覚え候へ。答へて云はく、法華独りいみじと申すが心せばく候はゞ、釈尊程心せばき人は世に候はじ。何ぞ誤りの甚(はなはだ)しきや。且(しばら)く一経一流の釈を引いて其の迷ひをさとらせん。無量義経に云はく「種々に法を説き、種々に法を説くこと方便力を以てす。四十余年未だ真実を顕はさず」云云。此の文を聞いて大荘厳(だいしょうごん)等(とう)の八万の菩薩一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫(あそうぎこう)を過ぐるとも終(つい)に無上菩提を成ずることを得ず」と領解(りょうげ)し給へり。此の文の心は、華厳・阿含・方等・般若の四十余年の経に付いて、いかに念仏を申し、禅宗を持って仏道を願ひ、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも、無上菩提を成ずる事を得じと云へり。しかのみならず、方便品には「世尊は法久しくして後要(かなら)ず当(まさ)に真実を説き給ふべし」ととき、又「唯(ただ)一乗の法のみ有り二無く亦(また)三無し」と説きて此の経ばかりまことなりと云ひ、又二の巻には「唯我一人のみ能(よ)く救護(くご)を為す」と教へ、「但(ただ)楽(ねが)って大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けざれ」と説き給へり。文の心は、たゞわれ一人してよくすく(救)ひまも(護)る事をなす、法華経をうけたもたん事をねがひて、余経の一偈をもうけざれと見えたり。又云はく「若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば則ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」云云。此の文の心は、若し人此の経を信ぜずして此の経にそむかば、則ち一切世間の仏のたねをたつものなり。その人は命(いのち)をわらば無間地獄に入るべしと説き給へり。此等の文をうけて天台は「将(まさ)に魔の仏と作(な)るに非ずやの詞(ことば)、正しく此の文によれり」と判じ給へり。唯人師の釈計(ばか)り憑(たの)みて、仏説によらずば何ぞ仏法と云ふ名を付すべきや。言語道断の次第なり。之に依って智証大師(ちしょうだいし)は「経に大小なく理に偏円(へんえん)なしと云って、一切人によらば仏説無用なり」と釈し給へり。天台は「若し深く所以(ゆえん)有りて、復(また)修多羅(しゅたら)と合する者は、録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」と判じ給へり。又云はく「文証無きは悉(ことごと)く是(これ)邪謂(じゃい)なり」とも云へり。いかゞ心得べきや。
(平成新編0293~0294・御書全集0461~0462・正宗聖典----・昭和新定[1]0456~0458・昭和定本[1]0274~0276)
[弘長03(1263)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]