『四菩薩造立抄』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 一、御状に云はく、太田方の人々、一向に迹門に得道あるべからずと申され候由(よし)、其の聞こえ候と。
 是(これ)は以ての外(ほか)の謬(あやま)りなり。御得意(こころえ)候へ。本迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし。一代聖教を弘むべき時に三つあり。機もて爾(しか)なり。仏滅後正法の始めの五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等なり。末法の始めには一向に本門なり。一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず。法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之(これ)無し。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前迹門は正法像法、末法は本門の弘まらせ給ふべき時なり。今の時は正には本門、傍には迹門なり。迹門無得道と云ひて、迹門を捨てゝ一向本門に心を入れさせ給ふ人々は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ、以ての外の僻見(びゃっけん)なり。
 私ならざる法門を僻案せん人は、偏(ひとえ)に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間(むけん)大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。此の法門は年来(としごろ)貴辺に申し含めたる様に人々にも披露あるべき者なり。総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。其れさへ尚人々の御心中は量りがたし。
 一、日行房死去の事不便(ふびん)に候。是にて法華経の文読み進(まい)らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ、願(ねが)はくは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候ひぬ。
 身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間省略せしめ候。又々申すべく候。恐々謹言。
(平成新編1370~1371・御書全集0989・正宗聖典----・昭和新定[3]1986~1988・昭和定本[2]1649~1650)
[弘安02(1279)年05月17日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]