『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 答へて曰く、此の難最も甚(はなは)だし最も甚だし、但し諸経と法華との相違は経文より事起(お)こりて分明なり。未顕(みけん)と已顕(いけん)と、証明(しょうみょう)と舌相(ぜっそう)と、二乗の成不と、始成(しじょう)と久成(くじょう)等之(これ)を顕はす。諸論師の事、天台大師云はく「天親・竜樹、内鑑冷然(ないがんれいねん)たり、外には時の宜(よろ)しきに適(かな)ひ各(おのおの)権に拠(よ)る所あり。而(しか)るに人師偏(ひとえ)に解し、学者苟(いや)しくも執し、遂(つい)に矢石(しせき)を興(おこ)し各一辺を保ちて大いに聖道に乖(そむ)けり」等云云。章安大師云はく「天竺の大論すら尚(なお)其の類(たぐい)に非ず、真旦(しんだん)の人師何ぞ労(わずら)はしく語るに及ばん、此(これ)誇耀(こよう)に非ず法相(ほっそう)の然(しか)らしむるのみ」等云云。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑑冷然なり。然りと雖(いえど)も時未(いま)だ至らざるが故に之を宣(の)べざるか。人師に於ては天台已前(いぜん)は或は珠(たま)を含み或は一向に之(これ)を知らず。已後(いご)の人師は或は初めに之(これ)を破して後に帰伏(きぶく)する人有り、或は一向に用ひざる者も之(これ)有り。但し「諸法の中の悪を断じたまへり」の経文を会(え)すべきなり。彼は法華経に爾前を載せたる経文なり。往(ゆ)いて之(これ)を見るに、経文分明に十界互具之(これ)を説く。所謂(いわゆる)「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。天台此(こ)の経文を承(う)けて云はく「若(も)し衆生に仏の知見無(な)くんば何ぞ開を論ずる所あらん。当(まさ)に知るべし、仏の知見衆生に蘊在(うんざい)することを」云云。章安大師の云はく「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん。若し貧女に蔵(くら)無くんば何ぞ示す所あらんや」等云云。
 但し会(え)し難き所は上の教主釈尊等の大難なり。此の事を仏遮会(しゃえ)して云はく「已今当説、最為難信難解」と。次下(つぎしも)の六難九易是(これ)なり。天台大師云はく「二門悉(ことごと)く昔と反すれば信じ難く解し難し。鉾(ほこさき)に当たるの難事なり」と。章安大師の云はく「仏此を将(もっ)て大事と為(な)す、何ぞ解し易きことを得(う)べけんや」と。伝教大師云はく「此の法華経は最も為(こ)れ難信難解なり、随自意の故に」等云云。夫(それ)仏より滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴(きょうりゃく)して但(ただ)三人のみ有りて始めて此の正法を覚知せり。所謂(いわゆる)月支(がっし)の釈尊、真旦(しんだん)の智者大師、日域の伝教此の三人は内典の聖人なり。問うて曰く、竜樹・天親等は如何(いかん)。答へて曰く、此等の聖人は知って之を言はざる仁なり。或は迹門の一分之(これ)を宣(の)べて本門と観心とを云はず、或は機有って時無きか、或は機と時共に之無きか。天台・伝教已後は之を知る者多々なり、二聖の智を用ゆるが故なり。所謂三論の嘉祥(かじょう)、南三北七(なんさんほくしち)の百余人、華厳宗の法蔵(ほうぞう)・清涼(しょうりょう)等、法相宗の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)・慈恩大師(じおんだいし)等、真言宗の善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智(こんごうち)三蔵・不空(ふくう)三蔵等、律宗の道宣(どうせん)等初めには反逆を存し、後には一向に帰伏(きぶく)せしなり。
 但し初めの大難を遮(しゃ)せば、無量義経に云はく「譬(たと)へば国王と夫人(ぶにん)と新(あら)たに王子を生ぜん。若(も)しは一日若しは二日若しは七日に至り、若しは一月若しは二月若しは七月に至り、若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、復(また)国事を領理(りょうり)すること能(あた)はずと雖も、已(すで)に臣民に宗敬(そうきょう)せられ諸の大王の子を以(もっ)て伴侶と為(せ)ん。王及び夫人の愛心偏(ひとえ)に重くして常に与(く)みし共(とも)に語らん。所以(ゆえん)は何(いかん)、稚小(ちしょう)なるを以ての故にといはんが如く、善男子是(こ)の持経者も亦復(またまた)是(か)くの如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子(みこ)を生ず、若(も)し菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句若しは一偈、若しは一転若しは二転、若しは十若しは百、若しは千若しは万、若しは億万恒河沙(ごうがしゃ)無量無数転せば、復真理の極(ごく)を体すること能(あた)はずと雖も、乃至已(すで)に一切の四衆八部に宗(たっと)み仰(あお)がれ、諸の大菩薩を以て眷属(けんぞく)と為(せ)ん、乃至常に諸仏に護念せられ慈愛偏(ひとえ)に覆(おお)はれん。新学(しんがく)なるを以ての故に」等云云。普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目(げんもく)なり、乃至三世の諸(もろもろ)の如来を出生する種(たね)なり、乃至汝(なんじ)大乗を行じて仏種(ぶっしゅ)を断ぜざれ」等云云。又云はく「此の方等経は是(これ)諸仏の眼(まなこ)なり、諸仏是に因(よ)って五眼(ごげん)を具することを得(う)、仏の三種の身は方等より生ず、是大法印にして涅槃海(ねはんかい)に印(いん)す。此(か)くの如き海中能(よ)く三種の仏の清浄の身を生ず、此の三種の身は人天(にんでん)の福田(ふくでん)なり」等云云。夫(それ)以(おもんみ)れば、釈迦如来の一代、顕密・大小の二教、華厳・真言等の諸宗の依経、往(ゆ)いて之を勘(かんが)ふるに、或は十方台葉(だいよう)の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、大集雲集(だいしゅううんじゅう)の諸仏如来、般若染浄(ぜんじょう)の千仏示現(じげん)、大日・金剛頂等の千二百尊、但(ただ)其の近因近果(ごんいんごんか)を演説して其の遠(おん)の因果を顕(あら)はさず、速疾頓成(そくしつとんじょう)之(これ)を説けども三・五の遠化(おんけ)を亡失(もうしつ)し、化導の始終(しじゅう)跡を削りて見えず。華厳経・大日経等は一往之を見るに別円四蔵(しぞう)等に似たれども、再往之を勘(かんが)ふれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず。本有(ほんぬ)の三因之無し、何を以てか仏の種子を定めん。而(しか)るに新訳の訳者等漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々ね添加し、或は天竺(てんじく)より受持するの由之を称す。天台の学者等或は自宗に同ずるを悦(よろこ)び、或は遠きを貴びて近きを蔑(あなず)り、或は旧(く)を捨てゝ新を取り、魔心(ましん)・愚心(ぐしん)出来す。然(しか)りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実(うみょうむじつ)なり。
(平成新編0650~0652・御書全集0244~0246・正宗聖典0150~0153・昭和新定[2]0964~0966・昭和定本[1]0709~0711)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]