問うて曰く、百界千如と一念三千と差別如何(いかん)。答へて曰く、百界千如は有情界(うじょうかい)に限り、一念三千は情非情に亘(わた)る。不審して云はく、非情に十如是亘らば草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや如何。答へて曰く、此の事難信難解(なんしんなんげ)なり。天台の難信難解に二有り、一には教門(きょうもん)の難信難解、二には観門(かんもん)の難信難解なり。其(そ)の教門の難信難解とは、一仏の所説(しょせつ)に於て爾前(にぜん)の諸経には、二乗(にじょう)・闡提(せんだい)は未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚(しょうがく)を成(じょう)ず、法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊(やぶ)る、一仏二言水火なり、誰人か之を信ぜん。此(これ)は教門の難信難解なり。観門の難信難解とは百界千如一念三千にして、非情の上の色心(しきしん)の二法の十如是是(これ)なり。爾(しか)りと雖(いえど)も木画(もくえ)の二像に於ては、下典内典共に之を許して本尊と為(な)す、其の義に於ては天台一家より出(い)でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉(たてまつ)ること無益(むやく)なり。疑って云はく、草木国土の上の十如是の因果の二法は何(いず)れの文に出でたるや。答へて曰く、止観第五に云はく「国土世間亦(また)十種の法を具す。所以(いわゆる)悪国土、相・性・体・力」等云云。釈籤(しゃくせん)第六に云はく「相は唯(ただ)色(しき)に在り、性は唯(ただ)心(しん)に在り、体・力・作・縁は義(ぎ)色心(しきしん)を兼ね、因果は唯心、報は唯色に在り」等云云。金■(=銀-艮+卑)論(こんぺいろん)に云はく「乃(すなわ)ち是(これ)一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)、各(おのおの)一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」等云云。
(平成新編0645~0646・御書全集0239・正宗聖典0143~0144・昭和新定[2]0958~0959・昭和定本[1]0703~0704)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]