『光日房御書』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 又御消息に云はく、人をもころ(殺)したりし者なれば、いかやうなるところ(処)にか生まれて候らん、をほ(仰)せをかほ(蒙)り候はんと云云。夫(それ)、針は水にしず(沈)む。雨は空にとゞまらず。蟻子(あり)を殺せる者は地獄に入り、死にかばね(屍)を切れる者は悪道をまぬかれず。何(いか)に況(いわ)んや人身をうけたる者をころ(殺)せる人をや。但し大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用(ゆう)にあらずや。小罪なれども懺悔(さんげ)せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども懺悔すれば罪き(消)へぬ。所謂(いわゆる)、粟(あわ)をつ(摘)みたりし比丘(びく)は、五百生が間(あいだ)牛となる。瓜(うり)をつみし者は三悪道に堕(お)ちにき。羅摩王(らまおう)・抜提王(ばつだいおう)・毘楼真王(びるしんおう)・那■(=眼-艮+侯)沙王(なごさおう)・迦帝王(かていおう)・毘舎■(=伝-云+去)王(びしゃきゃおう)・月光王・光明王・日光王・愛王・持多人王(じたにんおう)等の八万余人の諸王は、皆父を殺して位につく。善知識にあ(値)はざれば罪きへずして阿鼻地獄(あびじごく)に入りにき。波羅奈城(はらなじょう)に悪人あり、其の名をば阿逸多(あいった)という。母をあひ(愛)せしゆへに父を殺し妻とせり。父が師の阿羅漢(あらかん)ありて教訓せしかば阿らかむ(羅漢)を殺す。母又、他の夫(おとこ)にとつ(嫁)ぎしかば、又母をも殺しつ。具(つぶさ)に三逆罪をつくりしかば、隣里の人うと(疎)みしかば一身たもちがたくして、祇■(=清-青+亘)精舎(ぎおんしょうじゃ)にゆ(行)いて出家をもとめしに、諸僧許さゞりしかば、悪心強盛(ごうじょう)にして多くの僧坊をや(焼)きぬ。然(しか)れども釈尊に値(あ)ひ奉りて出家をゆるし給ひにき。北天竺(てんじく)に城あり、細石(さいしゃく)となづく。彼の城に王あり、竜印(りゅういん)という。父を殺してありしかども、後に此をおそれて彼の国をすてゝ仏にまいりたりしかば、仏懺悔(さんげ)を許し給ひき。阿闍世王(あじゃせおう)はひとゝなり(天性)三毒熾盛(しじょう)なり、十悪ひまなし。其の上父をころし、母を害せんとし、提婆達多(だいばだった)を師として無量の仏弟子を殺しぬ。悪逆のつ(積)もりに、二月十五日仏の御入滅の日にあたりて無間地獄(むけんじごく)の先相に、七処に悪瘡(あくそう)出生して玉体しづか(安穏)ならず。大火の身をやくがごとく、熱湯をく(汲)みかくるがごとくなりしに、六大臣まいりて六師外道を召されて、悪瘡を治(いや)すべきやう申しき。今の日本国の人々の、禅師・律師・念仏者・真言師等を善知識とたのみて蒙古(もうこ)国を調伏(じょうぶく)し、後生をたすからんとをも(思)うがごとし。其の上、提婆達多は阿闍世王の本師なり。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそら(誦)にして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡に向かふがごとし。今の世の天台宗の碩学(せきがく)の顕密(けんみつ)二道を胸にうかべ、一切経をそらんぜしがごとし。此等の人々諸の大臣並びに、阿闍世王を教訓せしかば、仏に帰依し奉る事なかりし程に、摩竭提国(まかだこく)に天変度々かさなり、地夭(ちよう)しきりなる上、大風・大旱ばつ(魃)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)ひまなき上、他国よりせめられて、すでにかうとみえしに、悪瘡すら身に出でしかば、国土一時にほろ(滅)びぬとみえし程に、俄(にわ)かに仏前にまいり、懺悔して罪きえしなり。
 これらはさてを(置)き候ひぬ。人のをや(親)は悪人なれども、子(こ)善人なればをやの罪ゆるす事あり。又、子(こ)悪人なれども、親(おや)善人なれば子の罪ゆるさるゝ事あり。されば故弥四郎(やしろう)殿は設(たと)ひ悪人なりとも、う(生)める母釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶら(弔)はゞ、争(いか)でか彼の人うかばざるべき。いかにいわ(況)うや、彼の人は法華経を信じたりしかば、をや(親)をみちびく身とぞなられて候らん。
(平成新編0962~0963・御書全集0930~0931・正宗聖典----・昭和新定[2]1448~1450・昭和定本[2]1158~1161)
[建治02(1276)年03月(佐後)]
[真跡・三条本成寺 身延曾存(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]