『法華取要抄』(佐後)[真跡(断片)・古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 今法華経と諸経とを相対するに一代に超過(ちょうか)すること廿(にじゅう)種之(これ)有り。其の中最要二有り。所謂(いわゆる)三・五の二法なり。三とは三千塵点劫(じんでんごう)なり。諸経は或は釈尊の因位(いんい)を明かすこと、或は三祇(さんぎ)、或は動踰塵劫(どうゆじんこう)、或は無量劫なり。梵王(ぼんのう)の云はく、此の土(ど)には廿九劫より已来(このかた)知行の主なり。第六天・帝釈・四天王等も以て是(か)くの如し。釈尊と梵王等と始めて知行の先後之(これ)を諍論(じょうろん)す。爾(しか)りと雖(いえど)も一指を挙げて之を降伏してより已来(このかた)、梵天頭(こうべ)を傾け魔王掌(たなごころ)を合はせ三界の衆生をして釈尊に帰伏(きぶく)せしむる是(これ)なり。又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明(きゅうめい)するに、諸仏の因位は或は三祇或は五劫(ごこう)等なり。釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来(このかた)裟婆世界の一切衆生の結縁(けちえん)の大士なり。此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し。法華経に云はく「爾の時の聞法の者、各諸仏の所に在り」等云云。天台云はく「西方は仏別(べつ)に縁異(こと)なり、故に子父の義成ぜず」等云云。妙楽云はく「弥陀・釈迦二仏既に殊(こと)なる○(=文章の中略)況(いわ)んや宿昔(むかし)の縁別にして化導同じからざるをや。結縁(けちえん)は生の如く成就は養の如し、生養(しょうよう)縁異(こと)なれば父子成ぜず」等云云。当世(とうせい)日本国の一切衆生の弥陀の来迎(らいごう)を待つは、譬へば牛の子に馬の乳を含(ふく)め瓦(かわら)の鏡に天の月を浮かぶるが如し。又果位を以て之を論ずれば、諸仏如来は或は十劫百劫千劫已来(このかた)の過去の仏なり。教主釈尊は既に五百塵点劫より已来(このかた)妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是(これ)なり。華厳経の十方台上の毘廬遮那(びるしゃな)、大日経・金剛頂経(こんごうちょうきょう)の両界(りょうかい)の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来(このかた)教主釈尊の愛子なり。不孝の失(とが)に依って今に覚知せずと雖(いえど)も他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁(けちえん)の衆生とは譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは譬へば聾者(ろうしゃ)の雷の声を聞き盲者(もうしゃ)の日月に向(む)かふが如し。而(しか)るに或る人師は釈尊を下(くだ)して大日如来を仰崇(ぎょうすう)し、或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀は有縁なりと。或る人師の云はく、小乗の釈尊と、或は華厳経の釈尊と、或は法華経迹門の釈尊と、此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは、例せば阿闍世太子(あじゃせたいし)の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)を殺し、釈尊に背(そむ)いて提婆達多(だいばだった)に付きしが如きなり。二月十五日は釈尊御入滅の日、乃至十二月十五日も三界の慈父の御遠忌(ごおんき)なり。善導(ぜんどう)・法然(ほうねん)・永観(ようかん)等の提婆達多に誑(たぶら)かされて阿弥陀仏の日と定め了(おわ)んぬ。四月八日は世尊御誕生の日なり、薬師仏に取り了んぬ。我が慈父の忌日を仏他に替へるは孝養の者なるか如何(いかん)。寿量品に云はく「我も亦為(こ)れ世の父、狂子(おうし)を治(じ)せんが為(ため)の故に」等云云。天台大師の云はく「本此の仏に従って初めて道心を発(お)こす、亦此の仏に従って不退の地に住す。乃至猶(なお)百川(ひゃくせん)の海に潮すべきが如く、縁に牽(ひ)かれて応生すること亦復(またまた)是(か)くの如し」等云云。
(平成新編0732~0734・御書全集0332~0333・正宗聖典0167~0168・昭和新定[2]1069~1071・昭和定本[1]0811~0813)
[文永11(1274)年05月24日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(70%以上100%未満現存)、古写本・日興筆 富士大石寺 日目筆 富士大石寺 日澄筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]