『撰時抄』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて云はく、何(いか)なる時にか小乗権経をとき、何なる時にか法華経を説くべきや。答へて云はく、十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで、時と機とをば相知りがたき事なり。何(いか)に況(いわ)んや我等は凡夫なり。いかでか時機をしるべき。求めて云はく、少しも知る事あるべからざるか。答へて云はく、仏眼をか(借)って時機をかんがへよ。仏日を用(もっ)て国をてらせ。問うて云はく、其の心如何(いかん)。答へて云はく、大集経に大覚世尊、月蔵菩薩(がつぞうぼさつ)に対して未来の時を定め給えり。所謂(いわゆる)我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固(げだつけんご)、次の五百年には禅定堅固(ぜんじょうけんご)已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)、次の五百年には多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟(とうじょうごんしょう)して白法隠没(びゃくほうおんもつ)せん等云云。此の五の五百歳、二千五百余年に人々の料簡(りょうけん)さまざまなり。漢土の道綽(どうしゃく)禅師が云はく、正像二千、四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛んなるべし。末法に入っては彼等の白法皆消滅して、浄土の法門念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし。日本国の法然が料簡して云はく、今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・諸の小乗経、天台・真言・律等の諸宗は、大集経の記文(きもん)の正像二千年の白法なり。末法に入っては彼等の白法は皆滅尽(めつじん)すべし。設(たと)ひ行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず。十住毘婆沙論(びばしゃろん)と曇鸞(どんらん)法師の難行道、道綽の未得一人得者(みういちにんとくしゃ)、善導(ぜんどう)の千中無一これなり。彼等の白法隠没の次には浄土の三部経・弥陀称名(みだしょうみょう)の一行計り大白法として出現すべし。此を行ぜん人々はいかなる悪人愚人なりとも、十即十生・百即百生、唯(ただ)浄土の一門のみ有って通入すべき路(みち)なりとはこれなり。されば後世を願はん人々は叡山(えいざん)・東寺(とうじ)・園城(おんじょう)・七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとゞめて、彼の寺山によせ(寄)をける田畠郡郷を奪いと(取)て念仏堂につけば、決定(けつじょう)往生南無阿弥陀仏とすゝめければ、我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。日蓮此等の悪義を難じやぶ(破)る事は事ふり候ひぬ。彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但(ただ)し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。
(平成新編0836~0837・御書全集0257~0258・正宗聖典0177~0178・昭和新定[2]1231~1232・昭和定本[2]1005~1007)
[建治01(1275)年06月10日(佐後)]
[真跡・玉沢妙法華寺外四ヶ所 身延曾存(70%以上100%未満現存)]
[※sasameyuki※]