『弁殿御消息』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

たきわう(滝王)をば、いえ(家)ふ(葺)くべきよし候ひけるとて、まか(罷)るべきよし申し候へば、つかわし候。えもん(衛門)のたいう(大夫)どのゝかへせに(改心)の事は、大進(だいしん)の阿闍梨(あじゃり)のふみに候らん。
一、十郎入道殿の御けさ(袈裟)、悦び入って候よしかたらせ給へ。
一、さぶらうざゑもん(三郎左衛門)どのゝ、このほど人をつかわして候ひしが、をほ(仰)せ候ひし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候よし、わざ(態)と御わたりありて、き(聞)こしめ(召)して、か(書)きつか(遣)わし候べし。又さゑもん(左衛門)どのにもかくと候へ。

  かわのべどの(河野辺殿)等の四人の事、はるかにうけ給はり候はず、おぼつかなし。かの辺になに事か候らん。一々にかきつかはせ。度々この人々の事はことに一大事と天をせ(責)めまいらせ候なり。さだめて後生(ごしょう)はさてをきぬ、今生(こんじょう)にしるし(験)あるべく候と存ずべきよし、したゝかにかたらせ給へ。伊東の八郎ざゑもん(左衛門)、今はしなの(信濃)ゝかみ(守)はげん(現)にし(死)にたりしを、いのりい(活)けて、念仏者等になるまじきよし明性房にをく(送)りたりしが、かへりて念仏者真言師になりて無間地獄(むけんじごく)に堕ちぬ。のと(能登)房はげんに身かたで候ひしが、世間のをそろしさと申し、よく(欲)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ひぬ。せう(少輔)房もかくの如し。おのおのは随分の日蓮がかたうど(方人)なり。しかるになづき(頭脳)をくだ(砕)きていの(祈)るに、いまゝでしるし(験)のなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ。をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえ(舎)をつくるなり。
  此の由(よし)を四人にかたらせ給ふべし。むこり(蒙古)国の事のあ(合)うをもってをぼしめせ、日蓮が失(とが)にはあらず。ちくご(筑後)房、三位(さんみ)、そつ(帥)等をばいとま(暇)あらばいそぎ来たるべし、大事の法門申すべしとかたらせ給へ。十住毘婆沙(じゅうじゅうびばしゃ)等の要文を大帖(だいじょう)にて候と、真言の表のせうそく(消息)の裏にさど房のかきて候と、そう(総)じてせゝとか(書)きつ(付)けて候ものゝ、かろきとりてたび候へ。紙なくして一紙に多人の事を申すなり。
(平成新編0997~0998・御書全集1225~1226・正宗聖典----・昭和新定[2]1482~1483・昭和定本[2]1190~1191)
[建治02(1276)年07月21日(佐後)]
[真跡・京都本能寺(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]