『開目抄 下』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 疑って云はく、いかにとして、汝(なんじ)が流罪・死罪等を、過去の宿習(しゅくじゅう)としらむ。答へて云はく、銅鏡は色形を顕(あら)はす。秦王験偽(しんのうけんぎ)の鏡は現在の罪を顕はす。仏法の鏡は過去の業因を現ず。般泥■(=清-青+亘)(はつないおん)経に云はく「善男子、過去に曾(かつ)て、無量の諸罪、種々の悪業を作るに是(こ)の諸の罪報は、或は軽易(きょうい)せられ、或は形状醜陋(ぎょうじょうしゅうる)、衣服(えぶく)足(た)らず、飲食麁疎(おんじきそそ)、財を求るに利あらず、貧賎の家、邪見の家に生まれ、或は王難に遭(あ)ひ、及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、斯(こ)れ護法の功徳力に由(よ)るが故なり」云云。此(こ)の経文、日蓮が身に宛(あたか)も符契(ふけい)のごとし。狐疑(こぎ)の氷とけぬ。千万の難も由(よし)なし。一々の句を我が身にあわせん。「或被軽易(わくひきょうい)」等云云。法華経に云はく「軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)」等云云。二十余年が間の軽慢せらる。或は「形状醜陋」と、又云はく「衣服不足(えぶくふそく)」は予が身なり。「飲食麁疎」は予が身なり。「求財不利(ぐざいふり)」は予が身なり。「生貧賎家(しょうひんせんけ)」は予が身なり。「或遭王難(わくぞうおうなん)」等。此の経文人疑ふべしや。法華経に云はく「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」と。此の経文に云はく「種々」等云云。「斯由護法功徳力故(しゆいごほうくどくりきこ)」等とは、摩訶止観の第五に云はく「散善微弱(みじゃく)なるは動ぜしむること能(あた)はず。今、止観を修して健病(ごんびょう)虧(か)けざれば生死の輪(りん)を動ず」等云云。又云はく「三障四魔紛然(ふんぜん)として競ひ起こる」等云云。我無始よりこのかた悪王と生まれて、法華経の行者の衣食(えじき)田畠(でんぱた)等を奪ひとりせしこと、かずしらず。当世、日本国の諸人の、法華経の山寺をたう(倒)すがごとし。又法華経の行者の首を刎(は)ねること其の数をしらず。此等の重罪はたせるもあり、いまだはたさゞるもあるらん。果(は)たすも余残いまだつきず。生死を離るゝ時は、必ず此の重罪をけしはてゝ出離(しゅつり)すべし。功徳は浅軽(せんきょう)なり。此等の罪は深重(じんじゅう)なり。権経を行ぜしには、此の重罪いまだをこらず。鉄(くろがね)を熱(やく)にいた(甚)うきたわざればきず(疵)隠れてみえず。度々せむればきずあらわる。麻子(あさのみ)をしぼるにつよ(強)くせめざれば油少なきがごとし。今、日蓮、強盛(ごうじょう)に国土の謗法を責むれば、此の大難の来たるは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし。鉄は火に値(あ)はざれば黒し、火と合ひぬれば赤し。木をもって急流をかけば、波、山のごとし。睡(ねむ)れる師子に手をつくれば大いに吼(ほ)ゆ。
(平成新編0572~0573・御書全集0232~0233・正宗聖典0134~0135・昭和新定[1]0826~0827・昭和定本[1]0601~0603)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]