又真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで此(これ)を仰ぐ事日月の如し。此を重んずる事珍宝の如し。此の宗の義に云はく、大日経には法華経は二重三重の劣なり。釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す。此の事は弘法・慈覚・智証の仰せられし故に、今四百余年に叡山・東寺・園城・日本国の智人一同の義なり。又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり。法華経等の経々は教内なり。譬へば月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到りてなにかせん。月を見ては指は用事ならず等云云。彼の人々謗法ともをも(思)はず習ひ伝へたるまゝに存じの外(ほか)に申すなり。然(しか)れども此の言(ことば)は釈迦仏をあなづり、法華経を失ひ奉る因縁となりて、此の国の人々皆一同に五逆罪にす(過)ぎたる大罪を犯しながら而(しか)も罪ともしらず。
此の大科次第につ(積)もりて、人王八十二代隠岐法皇(おきのほうおう)と申せし王並びに佐渡院(さどのいん)等は、我が相伝の家人にも及ばざりし相州鎌倉の義時(よしとき)と申せし人に、代を取られさせ給ひしのみならず島々にはなたれて歎(なげ)かせ給ひしが、終(つい)には彼の島々にして隠れさせ給ひぬ。神(たましい)は悪霊となりて地獄に堕(お)ち候ひぬ。其の召し仕(つか)はれし大臣已下は或は頭をは(刎)ねられ或は水火に入り、其の妻子等は或は思ひ死にゝ死に、或は民の妻となりて今に五十余年、其の外(ほか)の子孫は民のごとし。是(これ)偏(ひとえ)に真言と念仏等をもてなして法華経・釈迦仏の大怨敵(おんてき)となりし故に、天照太神・正八幡等の天神地祇(ちぎ)、十方の三宝にすてられ奉りて、現身には我が所従等にせ(攻)められ後生には地獄に堕ち候ひぬ。
而(しか)るに又代(よ)東(あずま)にうつりて年をふ(経)るまゝに、彼の国主を失ひし真言宗等の人々鎌倉に下り、相州の足下にくゞり入りて、やうやうにたばか(謀)る故に、本(もと)は上臈(じょうろう)なればとてすか(賺)されて鎌倉の諸堂の別当となせり。又念仏者をば善知識とたのみて大仏・長楽寺・極楽寺等とあが(崇)め、禅宗をば寿福寺・建長寺等とあがめをく。隠岐法皇の果報の尽き給ひし失(とが)より百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり。
(平成新編1261~1262・御書全集1411・正宗聖典----・昭和新定[2]1884~1885・昭和定本[2]1558~1560)
[弘安01(1278)年09月06日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]