『兄弟抄』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 あまりにをぼ(覚)つかなく候へば大事のものがたり(物語)一つ申す。白ひ(夷)・叔せい(斉)と申せし者は、胡竹(こちく)国の王の二人の太子なり。父の王弟の叔せいに位をゆづ(譲)り給ひき。父し(死)して後叔せい位につ(就)かざりき。白ひが云はく、位につ(就)き給へ。叔せいが云はく、兄に位に継(つ)ぎ給へ。白ひが云はく、いかに親の遺言をばたが(違)へ給ふと申せしかば、親の遺言はさる事なれども、いかんが兄ををきては位には即(つ)くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をす(捨)てゝ他国へわた(渡)りぬ。周の文王につか(仕)へしほどに、文王殷(いん)の紂王(ちゅうおう)に打たれしかば、武王百ヶ日が内いくさ(戦)ををこしき。白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさ(諫)めて云はく、をや(親)し(死)して後三ヶ年が内いくさ(戦)ををこすはあに(豈)不孝にあらずや。武王いか(怒)りて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、太公望せい(制)して打たせざりき。二人は此の王をうと(疎)みてすやう(首陽)と申す山にかく(隠)れゐて、わらび(蕨)をを(折)りて命をつ(継)ぎしかば、麻子(ばし)と申す者ゆ(行)きあ(合)ひて云はく、いかにこれにはをはするぞ。二人上件(かみくだん)の事をかた(語)りしかば、麻子が云はく、さるにてはわらび(蕨)は王の物にあらずや。二人せ(責)められて爾(そ)の時よりわらび(蕨)をく(食)わず。天は賢人をす(捨)て給はぬなら(習)ひなれば、天、白鹿と現じて乳をもって二人をやしな(養)ひき。叔せいが云はく、此の白鹿の乳をの(飲)むだにもうまし、まして肉をくわんとい(言)ゐしかば白ひせい(制)せしかども天これをき(聞)ゝて来たらず。二人う(飢)へて死にゝき。一生が間賢なりし人も一言に身をほろ(亡)ぼすにや。各々も御心の内はし(知)らず候へばをぼつかなしをぼつかなし。
(平成新編0983・御書全集1084~1085・正宗聖典----・昭和新定[2]1180~1181・昭和定本[1]0926~0927)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
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