無量義経に云はく「四十余年未(いま)だ真実を顕(あら)はさず」云云。法華已前(いぜん)は虚妄方便の説なり。法華已前にして一人も成仏し、浄土にも往生してあらば、真実の説にてこそあらめ。又云はく「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて、終(つい)に無上菩提を成ずることを得ず」文。法華経には「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。法華已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経なり。法華已前に衆生の得道があらばこそ、行じ易き観経に付きて往生し、大事なる法華経は行じ難ければ行ぜじと云はめ。但(ただ)釈迦如来の御教の様に意得べし、観経等は此の法華経へ教へ入れん方便の経なり。浄土に往生して成仏を知るべしと説くは、権教の配立(はいりゅう)、観経の権説なり。真実には此の土にて我が身を仏因と知って往生すべきなり。此の道理を知らずして、浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗経にもはづれ大乗にも似ず。師は魔師、弟子は魔民、一切衆生の其の教を信ずるは三途(さんず)の主なり。法華経は理深解微(りじんげみ)にして我が機に非ず、毀(そし)らばこそ罪にてはあらめと云ふ。是(これ)は毀(そし)るよりも法華経を失ふにて、一人も成仏すまじき様にて有るなり。設(たと)ひ毀(そし)るとも、人に此の経を教へ知らせて、此の経をもてなさば、如何(なに)かは苦しかるべき。毀(そし)らずして此の経を行ずる事を止めんこそ、弥(いよいよ)怖(おそ)ろしき事にては候へ。此を経文に説かれたり。「若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば、則(すなわ)ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復(また)顰蹙(ひんじゅく)して疑惑を懐(いだ)かん、其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん。地獄より出でて当(まさ)に畜生に堕すべし、若(も)しは狗(いぬ)・野干(やかん)、或は驢(ろ)の中に生まれて身(み)常に重きを負ふ。此に於て死し已(お)はって更に蟒身(もうしん)を受けん。常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く、余の悪道に在(あ)ること己が舎宅の如くならん」文。此の文を各(おのおの)御覧有るべし。「若し人信ぜず」と説くは末代の機に協(かな)はずと云ふ者の事なり。「此の経を毀謗(きぼう)せば」の毀はやぶると云ふ事なり。法華経の一日経を皆停止して称名(しょうみょう)の行を成し、法華経の如法経を浄土の三部経に引き違(たが)へたる、是(これ)を毀と云ふなり。権教を以て実教を失ふは、子が親の頸(くび)を切りたるが如し。又観経の意にも違(たが)ひ、法華経の意にも違(たが)ふ。謗と云ふは但(ただ)口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。「則ち一切世間の仏種を断ず」と説くは、法華経は末代の機に協(かな)はずと云ひて、一切衆生の成仏すべき道を閉(と)づるなり。「或は復(また)顰蹙(ひんじゅく)」と云へるは、法華経を行ずるを見て、唇(くちびる)をすくめて、なにともなき事をする者かな、祖父が大(だい)なる足の履(くつ)、小さき孫の足に協(かな)はざるが如くなんど云ふ者なり。「而(しか)も疑惑を懐(いだ)く」とは、末代に法華経なんどを行ずるは実とは覚(おぼ)えず、時に協(かな)はざる者をなんど云ふ人なり。此の比(ごろ)の在家の人毎に、未だ聞かざる先に天台・真言は我が機に協(かな)はずと云へるは、只(ただ)天魔の人にそ(添)ひて生まれて思はするなり。妙楽大師の釈に云はく「故に知んぬ、心(こころ)宝所(ほうしょ)に趣(おもむ)くこと無くんば、化城の路(みち)一歩も成ぜず」文。法華経の宝所を知らざる者は、同居の浄土・方便土の浄土へも至るまじきなり。又云はく「縦(たと)ひ宿善有ること恒河沙(ごうがしゃ)の如くなるも、終(つい)に自ら菩提を成ずるの理なし」文。称名(しょうみょう)・読経・造像・起塔・五戒・十善・色無色の禅定(ぜんじょう)、無量無辺の善根有りとも、法華開会(かいえ)の菩提心を起こさざらん者は、六道(ろくどう)四生(ししょう)をば全く出でまじきなり。
(平成新編0009~0010・御書全集----・正宗聖典----・昭和新定[1]0011~0012・昭和定本[1]0011~0013)
[仁治03(1242)年"文永03(1266)年"(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]