彼のあつわら(熱原)の愚癡(ぐち)の者どもい(言)ゐはげ(励)ましてを(堕)とす事なかれ。彼等には、たゞ一えん(円)にをも(思)い切れ、よからんは不思議、わるからんは一定とをも(思)へ。ひだる(饑)しとをも(思)わば餓鬼道ををし(教)へよ。さむ(寒)しといわば八かん(寒)地獄ををし(教)へよ。をそ(恐)ろしゝといわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)、ねこ(猫)にあへるねずみ(鼠))他人とをも(思)う事なかれ。此はこまごまとかき候事は、かくとしどし(年々)月々日々に申して候へども、なごへ(名越)の尼・せう(少輔)房・のと(能登)房・三位房なんどのやうに候をくびゃう(臆病)、物をぼへず、よく(欲)ふかく、うたが(疑)い多き者どもは、ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけ、そら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ。
三位房が事は大不思議の事ども候ひしかども、とのばら(殿原)のをも(思)いには智慧ある者をそね(嫉)ませ給ふかと、ぐち(愚癡)の人をも(思)いなんとをも(思)いて物も申さで候ひしが、はらぐろ(腹黒)となりて大づちをあたりて候ぞ。なかなかさんざん(散々)とだにも申せしかば、たすかるへんもや候ひなん。あまりにふしぎさに申さざりしなり。又かく申せばをこ(癡)人どもは死もう(亡)の事を仰せ候と申すべし。鏡のために申す。又此の事は彼等の人々も内々はを(怖)ぢをそ(畏)れ候らむとをぼへ候ぞ。
人のさわげばとてひゃうじ(兵士)なんど此の一門にせられば、此へか(書)きつけて給(た)び候へ。恐々謹言。
さぶらうざへもん(三郎左衛門)殿のもとにとゞ(留)めらるべし。
(平成新編1398・御書全集1190~1191・正宗聖典0298~0299・昭和新定[3]2018~2019・昭和定本[2]1674~1676)
[弘安02(1279)年10月01日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]