『王舎城事』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 一切の事は父母にそむ(背)き、国王にしたが(随)はざれば、不孝の者にして天のせ(責)めをかうふ(蒙)る。たゞし法華経のかたき(敵)になりぬれば、父母・国主の事をも用ひざるが孝養ともなり、国の恩を報ずるにて候。されば日蓮は此の経文を見候ひしかば、父母手をす(擦)りてせい(制)せしかども、師にて候ひし人かんだう(勘当)せしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかほり、すでに頸となりしかども、ついにをそ(恐)れずして候へば、今は日本国の人々も道理かと申すへんもあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申す事を用ひずして、ついに天のたす(助)けをかほる人は、日蓮より外は出だしがたくや候はんずらん。是(これ)より後も御覧あれ。日蓮をそし(謗)る法師原(ほっしばら)が、日本国を祈らば弥々(いよいよ)国亡ぶべし。結句せ(責)めの重からん時、上一人より下万民までもとゞり(髻)をわ(分)かつやっこ(奴)となり、ほぞ(臍)をくうためし(例)あるべし。後生はさてをきぬ、今生に法華経の敵(かたき)となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみ(見)こ(懲)りさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是(これ)にて御覧あるべし。
 かう申せば国主等は此の法師のをど(脅)すと思へるか。あへてにく(憎)みては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけ(消)さしめんとなり。章安大師云はく「彼が為に悪を除くは即ち是(これ)彼が親なり」等云云。かう申すは国主の父母、一切衆生の師匠なり。事々多く候へども留め候ひぬ。又麦の白米一だ(駄)・はじかみ(薑)送り給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。
(平成新編0975~0976・御書全集1138~1139・正宗聖典----・昭和新定[2]1170~1171・昭和定本[1]0917~0918)
[建治02(1276)年04月12日"文永12(建治01?)(1275)年04月12日"(佐後)]
[真跡・身延曾存]
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