『開目抄 下』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 有る人云はく、当世の三類はほゞ有るににたり、但し法華経の行者なし。汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり。此の経に云はく「天の諸の童子、以て給使(きゅうじ)を為(な)さん、刀杖(とうじょう)も加へず毒も害すること能(あた)はず」と。又云はく「若し人悪罵(あくめ)すれば、口則(すなわ)ち閉塞(へいそく)す」等。又云はく「現世には安穏(あんのん)にして、後(のち)善処に生まれん」等云云。又「頭(こうべ)破(わ)れて七分と作(な)ること阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん」と。又云はく「亦(また)現世に於て其の福報を得ん」等。又云はく「若し復、是の経典を受持する者を見て其の過悪(かあく)を出ださん、若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん」等云云。答へて云はく、汝が疑ひ大いに吉(よ)し。ついでに不審を晴らさん。不軽品に云はく「悪口罵詈(あっくめり」等。又云はく「或は杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を以て之を打擲(ちょうちゃく)す」等云云。涅槃経に云はく「若しは殺若しは害」等云云。法華経に云はく「而(しか)も此の経は如来の現在すら猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し」等云云。仏は小指を提婆(だいば)にやぶられ九横(くおう)の大難に値(あ)ひ給ふ。此は法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖(ちくじょう)に殺さる、法華経記■(=莉-利+別)(きべつ)の後なり。付法蔵の第十四提婆菩薩(だいばぼさつ)、第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。此等は法華経の行者にはあらざるか。竺(じく)の道生は蘇山(そざん)に流されぬ。法道は、火印(かなやき)を面(かお)にやいて江南にうつさる。此等は一乗の持者にあらざるか。北野の天神、白居易(はくきょい)は遠流(おんる)せらる、賢人にあらざるか。事の心を案ずるに、前生に法華経誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ず。これを世間の失によせ、或は罪なきをあだすれば、忽(たちま)ちに現罰あるか。修羅(しゅら)が帝釈をいる、金翅鳥(こんじちょう)の阿耨池(あのくち)に入る等、必ず返って一時に損ずるがごとし。天台云はく「今我が疾苦(しっく)は皆過去に由(よ)る、今生の修福は報(ほう)将来に在り」等云云。心地観経に云はく「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」等云云。不軽品に云はく「其罪畢已(ございひっち)」等云云。不軽菩薩は、過去に法華経を謗(ぼう)じ給ふ罪、身に有るゆへに、瓦石(がしゃく)をかほるとみへたり。又順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕(お)つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提(いっせんだい)人これなり。涅槃経に云はく「迦葉菩薩(かしょうぼさつ)、仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊、仏の所説の如く、大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云。又云はく「迦葉菩薩、仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊、云何(いかん)ぞ、未だ菩提心を発(お)こさゞる者、菩提の因を得ん」等云云。仏、此の問ひを答へて云はく「仏、迦葉に告げたまはく、若し是の大涅槃経を聞くこと有って、我菩提心を発(お)こすことを用ひずと言って正法を誹謗せん。是の人即時に夜夢の中に於て、羅刹(らせつ)の像(かたち)を見て心中怖畏(ふい)す。羅刹語って言はく、拙(つたな)し善男子、汝今、若し菩提心を発(お)こさずんば、当(まさ)に汝が命を断つべし。是の人惶怖(こうふ)し寤(さ)め已(お)はって、即ち菩提の心を発(お)こす。当(まさ)に知るべし、是の人は是(これ)大菩薩なりと」等云云。いた(甚)うの大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがへる心生ず。又云はく「枯木石山(こぼくしゃくせん)」等。又云はく「■(=灯-丁+焦)種(しょうしゅ)甘雨(かんう)に遇(あ)ふと雖(いえど)も」等。又云はく「明珠淤泥(みょうじゅおでい)」等。又云はく「人の手に創(きず)あるに毒薬を捉(と)るが如し」等。又云はく「大雨空に住せず」等云云。此等の多くの譬(たと)へあり。詮(せん)ずるところ、上品(じょうぼん)の一闡提(いっせんだい)人になりぬれば、順次生(じゅんじしょう)に必ず無間獄に堕(お)つべきゆへに現罰なし。例せば、夏(か)の桀(けつ)、殷(いん)の紂(ちゅう)の世には天変なし。重科有って必ず世ほろぶべきゆへか。又守護神此の国をす(捨)つるゆへに現罰なきか。謗法の世をば守護神す(捨)てゝ去り、諸天まぼ(守)るべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値(あ)ふべし。金光明経に云はく「善業(ぜんごう)を修する者は、日々に衰減(すいげん)す」等云云。悪国悪時これなり。具(つぶさ)には、立正安国論にかんがへたるがごとし。
(平成新編0570~0572・御書全集0230~0231・正宗聖典0131~0133・昭和新定[1]0823~0825・昭和定本[1]0599~0601)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]