ことに当地頭の病悩について、祈せい(請)申すべきよし仰せ候ひし間、案にあつか(扱)ひて候。然(しか)れども一分信仰の心を日蓮に出だし給へば、法華経へそせう(訴訟)とこそおもひ候へ。此の時は十羅刹女(じゅうらせつにょ)もいかでか力をあ(合)はせ給はざるべきと思ひ候ひて、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏並びに天照・八幡・大小の神祇(じんぎ)等に申して候。定めて評議ありてぞしるし(験)をばあらはし給はん、よも日蓮をば捨てさせ給はじ。いた(痛)きとかゆ(痒)きとの如く、あてがはせ給はんとおもひ候ひしに、ついに病悩なを(治)り、海中いろ(鱗)くづの中より出現の仏体を日蓮にたまはる事、此の病悩のゆへなり。さだめて十羅刹女のせめなり。此の功徳も夫婦二人の功徳となるべし。
(平成新編0262・御書全集1445~1446・正宗聖典----・昭和新定[1]0410・昭和定本[1]0230)
[弘長01(1261)年06月27日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[秘・すこしも人しるならば御ためあ(悪)しかりぬべし]
[※sasameyuki※]