『佐渡御書』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 日蓮も又かくせ(責)めらるゝも先業なきにあらず。不軽品に云はく「其罪畢已(ございひっち)」等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲(めりちょうちゃく)せられしも、先業の所感なるべし。何(いか)に況(いわ)んや、日蓮今生(こんじょう)には貧窮下賎(びんぐげせん)の者と生まれ旃陀羅(せんだら)が家より出(い)でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸(こんがん)して赤白二■(=清-青+帝)(しゃくびゃくにてい)とせり。其の中に識神(しきしん)をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢(ふんのう)に金(こがね)をつゝ(包)めるなるべし。心は法華経を信ずる故に梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)をも猶(なお)恐ろしと思はず、身は畜生の身なり。色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり。心も又身に対すればこそ月(つき)・金(こがね)にもたと(譬)ふれ。又過去の謗法を案ずるに誰かしる。勝意比丘(しょういびく)が魂にもや、大天が神(たましい)にもや。不軽軽毀(きょうき)の流類なるか、失心の余残なるか、五千上慢の眷属なるか、大通第三の余流(よりゅう)にもやあるらん、宿業はかりがたし。鉄(くろがね)は炎打(きたえう)てば剣となる。賢聖は罵詈(めり)して試みるなるべし。我今度の御勘気は世間の失(とが)一分もなし。偏(ひとえ)に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。
(平成新編0580・御書全集0958・正宗聖典----・昭和新定[1]0839~0840・昭和定本[1]0614)
[文永09(1272)年03月20日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]