釈迦如来は太子にてをはせし時、父の浄飯王太子をを(惜)しみたてまつりて出家をゆる(許)し給わず。四つの門に二千人のつわもの(兵士)をすへてまぼ(守)らせ給ひしかども、終(つい)にをや(親)の御心をたが(違)へて家をい(出)でさせ給ひき。一切はをや(親)に随(したが)ふべきにてこそ候へども、仏にな(成)る道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経(しんじかんぎょう)には孝養の本をと(説)かせ給ふには「恩を棄(す)てゝ無為に入るは真実の報恩の者なり」等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出でて仏になるが、まことの恩をほう(報)ずるにてはあるなり。世間の法にも、父母の謀反(むほん)なんどをを(起)こすには随はぬが孝養とみ(見)へて候ぞかし。孝経と申す外経(げきょう)にみ(見)へて候。天台大師も法華経の三昧(さんまい)に入らせ給ひてをはせし時は、父母左右のひざ(膝)に住して仏道をさ(障)えんとし給ひしなり。此は天魔の父母のかたち(形)をげん(現)じてさ(障)うるなり。
(平成新編0983~0984・御書全集1085・正宗聖典----・昭和新定[2]1181・昭和定本[1]0927~0928)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]