此の十二日酉(とり)の時御勘気。武蔵守(むさしのかみ)殿御あづかりにて、十三日丑(うし)の時にかまくら(鎌倉)をいで(出)ゝ佐土の国へなが(流)され候が、たうじ(当時)はほんま(本間)のえち(依智)と申すところに、えちの六郎左衛門尉殿の代官右馬太郎(うまたろう)と申す者あづかりて候が、いま四・五日はあるべげに候。
御歎きはさる事に候へども、これには一定(いちじょう)と本よりご(期)して候へばなげ(歎)かず候。いまゝで頸の切れぬこそ本意なく候へ。法華経の御ゆへに過去に頸をうしな(失)ひたらば、かゝる少身のみ(身)にて候べきか。又「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」とと(説)かれて、度々失(とが)にあたりて重罪をけ(消)してこそ仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆへなり。
上のせめさせ給ふにこそ、法華経を信じたる色もあらわれ候へ。月はか(欠)けてみ(満)ち、しを(潮)はひ(干)てみ(満)つ事疑ひなし。此も罰あり必ず徳あるべし。なにし(何為)にかなげ(歎)かん。
(平成新編0477~0478・御書全集0950~0951・正宗聖典----・昭和新定[1]0716~0717・昭和定本[1]0503)
[文永08(1271)年09月15日"文永08(1271)年09月14日"(佐後)]
[真跡・京都本満寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]